赤沢鍾美:日本最初の保育園創設者

1864-1937 明治-昭和時代前期の教育者。 元治(げんじ)元年10月16日生まれ。

新潟静修学校の横に日本初の保育園を作った

日本初とされる保育園が新潟市にある。その歴史は130年前の明治時代までさかのぼる。それは、国の方針に反してでも貧しい子どもらに手を差しのべようとした、その人物こそが赤沢鍾美である。

赤沢は、自ら開いた私塾「新潟静修学校」の教師だった。明治政府の学制発布で各地に小学校ができたが、通えるのは裕福な家の子弟ばかり。そこで、貧しい子ども向けに塾を開くと、すぐに問題が起きた。塾で学ぶ子は幼い弟妹や奉公先の子らの世話も任されており、授業の終わりを待つ幼児の群れが教室外にできたのだ。

 「此(こ)の可愛さうな有様見るに忍びず」。赤沢は後年、その様子を書き記している。見かねた妻ナカが幼児を世話し、食事を与え、寒い日には足袋もこしらえてやった。赤沢の託児所はこうして、私塾に通う子の勉学を助ける形で生まれた。

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おしょー監督(大友頌平)
株式会社ChillDog代表。国内エアラインの航空整備士・フリーランスエンジニア・カメラマン・動画クリエイター・エンジェル投資家の付き人など20代で多様な領域を経験。数多の失敗から人に支えられることの素晴らしさに気づき、自らが誰かの力になるべく福祉事業へと参入

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