緒方 洪庵:福沢諭吉の師匠。幕末の蘭学者であり教育者

1810年8月13日生まれ

8歳のとき天然痘にかかる

文政9年(1826年)7月に中天游私塾「思々斎塾」に入門。4年間、蘭学、特に医学を学ぶ。

天保2年(1831年)、江戸へ出て坪井信道に学び、さらに宇田川玄真にも学んだ。同7年(1836年)には長崎へ遊学し、出島オランダ人医師ニーマンの下で医学を学ぶ。

天保9年(1838年)春、大坂に帰り、津村東之町(現・大阪市中央区瓦町3丁目)で医業を開業する。同時に蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開く。福澤諭吉が、適塾に入塾していた

嘉永2年11月1日1849年12月15日)に京都に赴き、滞在7日にして出島の医師オットー・モーニッケが輸入して京都に伝わっていた痘苗を得、古手町(現・大阪市中央区道修町4丁目)に「除痘館」を開き、牛痘種痘法による切痘を始める。

牛痘種痘法は牛になる等の迷信が障害となり、治療費を取らず患者に実験台になってもらい、かつワクチンを関東から九州までの186箇所の分苗所で維持しながら治療を続ける。

もぐりの牛痘種痘法者が現れ、除痘館のみを国家公認の唯一の牛痘種痘法治療所として認められるよう奔走した。

安政5年4月24日1858年6月5日)には洪庵の天然痘予防の活動を江戸幕府が公認し、牛痘種痘を免許制とした。

       おしょー監督のプロフィール写真(大友頌平)
           
おしょー監督(大友頌平)
株式会社ChillDog代表。国内エアラインの航空整備士・フリーランスエンジニア・カメラマン・動画クリエイター・エンジェル投資家の付き人など20代で多様な領域を経験。数多の失敗から人に支えられることの素晴らしさに気づき、自らが誰かの力になるべく福祉事業へと参入

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です